ディベートとは? 

議論の練習のためのゲームです。

普通に行われている議論とは異なり、議論の練習のために、ある意味「窮屈な」決めごとがあります。主に5つのことが挙げられます。

1 1つの論題について話し合う

 議論をするテーマが「〜は、…すべきだ」という形で決められています。普段学校の授業やホームルームで行われる討論・話し合いでは「〜について」という形で、もっと大雑把にテーマが投げかけられることが多いものです。これだと、たしかに議論の広がりはあるでしょうが、それぞれが思い思いに言いたいことを述べただけで終わりがちです。「今日はいろいろとみんなが意見を言ってくれたね。大変活発でいい話し合いができたと思うよ。」なんて先生がまとめて終わっても、さて、ではいったい何が話し合われ、どんなふうにお互いの考えていることを検討しあって、どんな結論が提出されたのかがわからない、といったことになってしまいます。あるいは、声の大きいものが「これは〜だ」と言ったことが誰からも反論されずに、そのまま通ってしまう、といったこともあるでしょう。  話し合うテーマが 「〜は、…すべきだ」という形(命題と言います。判断を言語化したものです。)で示されていれば、議論は「すべきか、すべきでないか」という判断の妥当性の点に集約されます。限られた時間でかみ合った議論をするためには、このように1つの論題(命題)について話し合う、ということが必要なのです。

2 肯定側否定側に機械的に分けられる

 2つめは、肯定側、否定側に別れることです。パネルディスカッションのように、中間派といったものは置きません。そして練習のためですから、「その論題について賛成の立場か、反対の立場か」ということはいったん棚に上げて、肯定側からも否定側からも議論をすることになります。「自分は陪審制度は導入する必要があるから、肯定側の立場しかできない」といったことは認められないことになります。しかし、自分の考え方と議論の立場がかならずしも一致しないということは、実は大切なことです。2つ理由があります。

 第1の理由は、「人と議論を分ける」ということによって冷静な議論を行えるようになるということです。  たとえば、「朝まで生テレビ」なんて銘打って、激しく議論を行う番組がありますね。あれを見ていると、議論が白熱するのはいいんだけれど、時として「だいたいあんたみたいな思想の持ち主は、いつもそういう決め付け方をするんだ」とか、議論の内容より、個人の人格攻撃なんかになってしまったりすることがあります。私たちの普段の生活の中でも、自分が思っていることを、相手から頭ごなしに否定されたりすると、なんだか自分という人格が否定されたような気になったりすることもありますよね。ですから、あまり篤くならず、冷静に議論を進めるには「人と議論を分ける」ということが大切なことなのです。

 第2の理由は、自分の意見を客観的にみつめ直し、より深い考えを持つことができるようになるということです。  普段、自分が正しいと思っていることって、なぜそれが正しいのか、なんて考えたりしません。「正しいから正しい」、まあ無理に理屈をつけようとすると、そんな堂々巡りになってしまうものです。  ところが、ディベートで、あえて自分の意見と反対の立場に立って、自分の意見に反論を加えてみると、自分の考え方の偏りとか、底の浅さに気づかされます。自分の考えだと思っていたものが、案外他人からの受け売りだったり、新聞やテレビの解説で聞きかじったものを、そのまま鵜呑みにしていたなんてことも結構あるんですね。  弁証法ではないですが、肯定側・否定側両面から検討し直すことで、意見は代わらなくても、以前よりも自分の意見をより深く、よりはっきりしたものとしてとらえることができるようになります。

3 一定のルールに従う

 議論の練習ですから、いろいろなルールが決められています。  たとえば、肯定側から議論が始まって、途中順番を入れ替えて最後はまた肯定側で終えるようにするとか、発言の順番や時間がはっきりと決められていて、相手の議論の途中で口をはさむことは許されないとか、前半戦で争点となる議論はすべて提出しなくてはならず、後半戦で新たな議論を提出しても評価してもらえないとか。  こうしたルールの一つ一つは普段の話し合いに比べると、実に窮屈に感じられます。しかし、こうしたルールはすべて、「かみ合った議論を行う」という目的のために必要なのです。

4 証明された議論を戦わせる

 ディベートでは、かならず主張に根拠をつけることが要求されます。「あの人はうそつきだ」といった個人的な感想をいくら述べても、ディベートでは評価してもらえません。「私の意見はこうだ。なぜならこれこれのりゆうからだ。」このような主張と根拠を1セットとしたものが「証明された議論」となります。相手は主張と根拠との間にズレや矛盾はないか、を検証し、おかしいと判断したところをさらに根拠を示して反論してきます。こうした応酬を繰り返し、どちらの議論のほうがより説得力があるかを競い合うわけです。

5 審判によって判定が下される

 ゲームですから、勝敗がつけられます。勝敗は相手を言い負かすことによってではなく、第三者である審判を説得するという形で争われます。審判は肯定側・否定側それぞれの議論の証明具合を判断し、より説得力のある方を勝ちと判定します。  またゲームの勝敗は意志決定とはなんら関わりを持ちません。たとえば、日弁連主催で行われた「陪審DEディベート」では、「日本の刑事裁判に陪審制を導入する-是か非か」という論題でディベートが行われました。結果は否定側の勝ちでした。しかし、だからといって日弁連が今まで行ってきた陪審制導入を訴えるのをやめるということにはなりません。  こうした点も、冷静に議論の練習を行うために、有効な手立てと言ってよいでしょう。


筑田周一

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