「スタッフの眼」第4弾です。2024年のD甲子園としては最終回です。選手の「メンタルの強さ」や、主審の講評の内容に触れています。前日準備~大会2日目までの3日間を通して学んだディベートの教育的意義として「自分とは反対の意見も広く深く考えるため、視野が広がり、他者に対する思いやりや寛容さを培える」ことを挙げています。
Aさん 高校三年生
声が震えていた。指が震えていた。彼らの努力が、青春が、矢継ぎ早に語られる言葉の中に刻み込まれていく。胸が熱くなった。
私は、将来千葉県で教員を目指す者として、千葉大高校生インターンシップに参加した。ディベートで培われる能力とはどのようなもので、どのように教育現場で活かせるのか。そんな疑問を抱きながら、3日間のインターンシップは始まった。
特に印象に残ったのは、ある中学校の選手たちである。負けたら決勝トーナメントに進めないというプレッシャーを抱える試合の前にもかかわらず、笑顔を見せていたのである。試合にも落ち着いた姿勢で臨み、素人の私にも伝わるほど論理的な立論や反駁を行い、勝利した。そのメンタルの強さに圧倒された。
主審の方々のアドバイスで、特に心に残ったのは、『ぜひ主審役を練習の中に組み込んでください。「相手の主張はこのような点で理にかなっていない」で終わらせず、「よってこのようなことが言えるため、私たちの主張はより確かになる」といった、審判がジャッジしやすいような発言につなげられるとなお良いです』という言葉だ。とても具体的かつ実践的な、素晴らしいアドバイスだと感銘を受けた。
3日間を通して私が学んだディベートの教育的意義とは、自分とは反対の意見も広く深く考えるため、視野が広がり、他者に対する思いやりや寛容さを培える、ということだ。ディベートは、相手を感情的に攻撃し、ただ論破すればいいというようなものではない。自分とは異なる多様な意見を受け入れることのできる素養は、これからのグローバル社会を生きる私たちに必要不可欠なものである。ただし、ディベートをどの学校でも教育の一環として実施できるようにするためには、『ジャッジの公平性』一つとっても課題が多い。だが、これらの課題を乗り越え、ディベートを普及させることによる教育的なメリットは計り知れない。そのためにどうしたらよいか、これから具体的かつ実践的に考えていきたい。
最後に、私の質問に嫌な顔一つせず答えてくれた、選手の皆様や連盟大会運営委員長の市野様、全ての大会関係者の方々、そして高校生の仲間たちに心からの感謝を申し上げたい。この3日間で得た経験は、これから教師を目指す私の一生の宝物だ。